ジャワ島中部地震救援活動(9/13)
(9月13日)
被災者救援活動のモニタリング調査に出かけるディアン・デサ財団のスプリさん、カムトさんに同行して、バントゥル県の地震の現場を回りました。今回訪ねたのは、県中部のプレレット郡と、南部で海に近いプンドン郡です。さすがに、もう瓦礫がそのまま放置されているところはまれで、道すがら、普通の農村風景を見ているような気になる地域もありました。ただ、まだテントも数多く残り、にわかづくりの仮設の家が多いです。
ディアン・デサ財団の復興支援活動は、MCK(トイレ、水浴び場、洗濯場に兼用する施設)づくり、井戸の修復、浄水の供給の三つが主なものですが、プレレット郡のスゴロヨソ村に着くと、いつもバイオマスのパイロットプラントなどでお世話になっているディアン・デサ財団の工場の人たちが井戸の清掃に当たっていました。ディーゼル発電機で電気を供給しつつ水中ポンプを動かし、泥水の出た井戸を掃除するものです。現在、合計5台のポンプで清掃し、その後、水場や支柱など井戸周りの整備を行っています。この井戸の修復活動に関しては、既に清掃を済ませたもの約1000件、そのうち井戸周りの整備まで終わったもの約200件とのこと(9月13日現在)。目標は1000件なので、今まで手をつけている範囲で既に目標には達しています。しかし、まだまだ住民からの希望は多く、今後どこまで続けるか検討中です。
次にプンドン郡のスリハルドノ村へ行きました。ここでもディアン・デサ財団の工場のスタッフが井戸の修復に当たっていました。近くに小学校(右図)があるので、立ち寄って校長先生に話を聞いてみました。この小学校は、校舎がつぶれはしなかったものの、建物に亀裂が入って使える状態になく、校庭にテントを張ってそこで授業しています。UNICEF等の援助で建物を修復するメドは立っているようです。生徒は130人ですが、近々近隣の村から94人が移ってくるとのこと。何か必要なものは、と聞くと、ノートや筆記用具など生徒が使うものはあるが、教師への支援が少なく、今はパソコンのプリンターが壊れて困っているそうです。現在、地域の住民が必要としているものは、セメント/砂、鉄筋、瓦、石、釘などの建材とのことでした。職業は小作農民が多いですが、他にスナック・揚げ物づくりなどの家内産業もあり、ジョクジャカルタ市内でベチャの運転手をしている人もいるそうです。多くの人は仕事に戻っているとのこと。
スリハルドノ村でディアン・デサ財団がつくったMCKも見に行きました。MCKは目標4000家族分に対して、既に完成したものと現在工事中のものとを合わせると649ユニット(9月13日現在)になるそうで、1ユニットは平均7家族で使われるため、今手がけているものができると目標を上回ります。しかし、井戸同様、それ以外にも多数要望があり、上積みも検討中です。MCKの横に住んでいた女性は、地震以前からご主人と別居していて、縫製の仕事をやりながら三人の子供を養っているそうですが、いまだにテント暮らしでした。今でもトラウマがあり、トラックが通って揺れても恐い気がするとのこと。
ディアン・デサ財団の救援活動としては、これ以外に浄水を毎日45トン程度配給していることがあります。5トンのプラスチックバッグに入れてトラックで運び、現場に設置された同様のバッグに移していくもので、45トンのうち、およそ15トンはムラピ山の火砕流の被災者向け、残りの30トンがバントゥル県など地震の被災地向けです。井戸の回復などによって必要が薄れたところは、適宜バッグの設置場所を移動しているそうです。
雨季も間近となり、今後はやはり住宅の問題が気になります。テント住まいの人、身の回りで手に入る材料で仮設住宅をつくっている人、恒久住宅を建設している人、また、それらの併用や、仮設のようでもあり恒久のようでもある家もあって状態はさまざまです。早く政府の住宅復興支援金が下りてほしいですが、いまだに実現していません。現在は、住民に均等分けするのか、被害の度合いや収入によって格差をつけて配るのか、という問題でもめているそうです。ディアン・デサ財団の救援活動も既に3ケ月半になりますが、どこまでやればいいのか、何をもって締めとするのか、が問われる段階になっていると思います。
テントの横で鉄筋入りの恒久住宅の建設が始まっているところもある。
(田中直)
被災者救援活動のモニタリング調査に出かけるディアン・デサ財団のスプリさん、カムトさんに同行して、バントゥル県の地震の現場を回りました。今回訪ねたのは、県中部のプレレット郡と、南部で海に近いプンドン郡です。さすがに、もう瓦礫がそのまま放置されているところはまれで、道すがら、普通の農村風景を見ているような気になる地域もありました。ただ、まだテントも数多く残り、にわかづくりの仮設の家が多いです。
ディアン・デサ財団の復興支援活動は、MCK(トイレ、水浴び場、洗濯場に兼用する施設)づくり、井戸の修復、浄水の供給の三つが主なものですが、プレレット郡のスゴロヨソ村に着くと、いつもバイオマスのパイロットプラントなどでお世話になっているディアン・デサ財団の工場の人たちが井戸の清掃に当たっていました。ディーゼル発電機で電気を供給しつつ水中ポンプを動かし、泥水の出た井戸を掃除するものです。現在、合計5台のポンプで清掃し、その後、水場や支柱など井戸周りの整備を行っています。この井戸の修復活動に関しては、既に清掃を済ませたもの約1000件、そのうち井戸周りの整備まで終わったもの約200件とのこと(9月13日現在)。目標は1000件なので、今まで手をつけている範囲で既に目標には達しています。しかし、まだまだ住民からの希望は多く、今後どこまで続けるか検討中です。
次にプンドン郡のスリハルドノ村へ行きました。ここでもディアン・デサ財団の工場のスタッフが井戸の修復に当たっていました。近くに小学校(右図)があるので、立ち寄って校長先生に話を聞いてみました。この小学校は、校舎がつぶれはしなかったものの、建物に亀裂が入って使える状態になく、校庭にテントを張ってそこで授業しています。UNICEF等の援助で建物を修復するメドは立っているようです。生徒は130人ですが、近々近隣の村から94人が移ってくるとのこと。何か必要なものは、と聞くと、ノートや筆記用具など生徒が使うものはあるが、教師への支援が少なく、今はパソコンのプリンターが壊れて困っているそうです。現在、地域の住民が必要としているものは、セメント/砂、鉄筋、瓦、石、釘などの建材とのことでした。職業は小作農民が多いですが、他にスナック・揚げ物づくりなどの家内産業もあり、ジョクジャカルタ市内でベチャの運転手をしている人もいるそうです。多くの人は仕事に戻っているとのこと。
スリハルドノ村でディアン・デサ財団がつくったMCKも見に行きました。MCKは目標4000家族分に対して、既に完成したものと現在工事中のものとを合わせると649ユニット(9月13日現在)になるそうで、1ユニットは平均7家族で使われるため、今手がけているものができると目標を上回ります。しかし、井戸同様、それ以外にも多数要望があり、上積みも検討中です。MCKの横に住んでいた女性は、地震以前からご主人と別居していて、縫製の仕事をやりながら三人の子供を養っているそうですが、いまだにテント暮らしでした。今でもトラウマがあり、トラックが通って揺れても恐い気がするとのこと。
ディアン・デサ財団の救援活動としては、これ以外に浄水を毎日45トン程度配給していることがあります。5トンのプラスチックバッグに入れてトラックで運び、現場に設置された同様のバッグに移していくもので、45トンのうち、およそ15トンはムラピ山の火砕流の被災者向け、残りの30トンがバントゥル県など地震の被災地向けです。井戸の回復などによって必要が薄れたところは、適宜バッグの設置場所を移動しているそうです。
雨季も間近となり、今後はやはり住宅の問題が気になります。テント住まいの人、身の回りで手に入る材料で仮設住宅をつくっている人、恒久住宅を建設している人、また、それらの併用や、仮設のようでもあり恒久のようでもある家もあって状態はさまざまです。早く政府の住宅復興支援金が下りてほしいですが、いまだに実現していません。現在は、住民に均等分けするのか、被害の度合いや収入によって格差をつけて配るのか、という問題でもめているそうです。ディアン・デサ財団の救援活動も既に3ケ月半になりますが、どこまでやればいいのか、何をもって締めとするのか、が問われる段階になっていると思います。

(田中直)