メラピ山の噴火に遭遇して
昨年の10月26日、インドネシアのジョクジャカルタ北部にあるメラピ山が噴火し、死者300名以上、避難者29万人に上る大災害となりました。噴火当時の緊迫した状況や現地協力団体の救援の様子などをジョクジャカルタ駐在スタッフがレポートしてくれましたので、掲載いたします。
10月26日から、ジョクジャカルタの北に位置するムラピ山が激しく噴火し始めました。最も激しく噴火した11月5日の夜中の噴火では、噴火の振動で家の窓が地震の際のようにガタガタと鳴り、割れてしまうのではないかと心配しました。直後に、熱い砂と灰の雨が降り、家中が硫黄の匂いでいっぱいになりました。

(灰が降り積もるジョクジャカルタ市内)
その晩、セキュリティーゾーン(避難勧告地域)が山頂から20km圏内に拡張し、自宅まで5km弱の距離に迫りました。翌朝には、御近所の皆さんがタクシーや車に荷物をつめ、避難が始まっていました。近所にはコス(大学生用の下宿先)が多いので、心配している両親の元に多くの学生達が帰っていきました。普段は冷静で、“ティダッ アパアパ”(大丈夫!)が口癖になっているインドネシアの方の顔にも緊張が走り、余裕の無い様子を見せていました。
その日のニュースで、Kali Gendol(初めに発生した火砕流が流下した川)南部のアルゴムルヨ村で64人が死亡、77人が重い火傷を負ったとのニュースを聞きました。被害地域は火口から17、18kmも離れ、前日まではまだ安全とされていた地域でした。私も徐々に不安になってきましたが、肉眼で火山から真っ赤な溶岩が流れ出るのを自宅の二階から見たり、貴重な経験をしていると思うことにしました。
《ディアン・デサスタッフの状況》
ディアン・デサ(APEXが協力して事業を行っている現地NGO、以下YDD)の事務所はカリウラン通りの7km付近にあります。11月5日には事務所からわずか3km先のカリウラン通り10kmにまで避難勧告地域が迫り、事務所は11月5から8日の間は閉まっていました。周辺にお住まいのスタッフの方々、幼いお子さんをお持ちの方々などが避難され、代表者アントンさんのご子息であるエドさんの家族や、APEXスタッフがよくお世話になる総務担当のユユンさん、会計士のスワルドノさんなども、南方のホテルやご親戚の家などに避難しました。幸いな事にYDDのスタッフからは、噴火による被害者は出ておりません。
YDDは10月26日の最初の噴火から、避難所への給水活動を続けていました。井戸水をUV殺菌した浄水をプラスチック製のバックに入れ、毎日2万~2万5千リットルを供給したようです 。

(浄水供給用プラスチックバック)
今回の災害では、火山灰や砂によるダメージのため4、5時間停電になったり、砂でポンプが止まってしまい、自宅の水道が使えなくなったりした為、生活の不便さに不満を抱いている自分もいました。しかしながら、避難生活を余儀なくされている方々の事を思うと心が痛み、自分が恥ずかしいと思えてきました。家が燃えて全てを失ってしまった人も少なくないと聞いています。自然の脅威を目のあたりにし、実際に手に出来る形あるものの儚さ、危うさを改めて認識する良い機会を得た気がしました。
自然災害を初めて体験し、仕事上だけでなく、生きる事への新たな刺激ももらった気がします。
(杉浦愛)
なお、現在メラピ山の火山活動は沈静化していますが、堆積した噴出物が降雨で土石流となり、川沿いの地域では深刻な二次災害を被っているそうです。
日本でも、新燃岳周辺で雨による二次災害の発生が懸念されておりますが、これ以上被害が拡大しないよう、また、被災した方々が一刻も早く元の生活を取り戻せるようにお祈りしております。
(APEX三木)
10月26日から、ジョクジャカルタの北に位置するムラピ山が激しく噴火し始めました。最も激しく噴火した11月5日の夜中の噴火では、噴火の振動で家の窓が地震の際のようにガタガタと鳴り、割れてしまうのではないかと心配しました。直後に、熱い砂と灰の雨が降り、家中が硫黄の匂いでいっぱいになりました。

(灰が降り積もるジョクジャカルタ市内)
その晩、セキュリティーゾーン(避難勧告地域)が山頂から20km圏内に拡張し、自宅まで5km弱の距離に迫りました。翌朝には、御近所の皆さんがタクシーや車に荷物をつめ、避難が始まっていました。近所にはコス(大学生用の下宿先)が多いので、心配している両親の元に多くの学生達が帰っていきました。普段は冷静で、“ティダッ アパアパ”(大丈夫!)が口癖になっているインドネシアの方の顔にも緊張が走り、余裕の無い様子を見せていました。
その日のニュースで、Kali Gendol(初めに発生した火砕流が流下した川)南部のアルゴムルヨ村で64人が死亡、77人が重い火傷を負ったとのニュースを聞きました。被害地域は火口から17、18kmも離れ、前日まではまだ安全とされていた地域でした。私も徐々に不安になってきましたが、肉眼で火山から真っ赤な溶岩が流れ出るのを自宅の二階から見たり、貴重な経験をしていると思うことにしました。
《ディアン・デサスタッフの状況》
ディアン・デサ(APEXが協力して事業を行っている現地NGO、以下YDD)の事務所はカリウラン通りの7km付近にあります。11月5日には事務所からわずか3km先のカリウラン通り10kmにまで避難勧告地域が迫り、事務所は11月5から8日の間は閉まっていました。周辺にお住まいのスタッフの方々、幼いお子さんをお持ちの方々などが避難され、代表者アントンさんのご子息であるエドさんの家族や、APEXスタッフがよくお世話になる総務担当のユユンさん、会計士のスワルドノさんなども、南方のホテルやご親戚の家などに避難しました。幸いな事にYDDのスタッフからは、噴火による被害者は出ておりません。
YDDは10月26日の最初の噴火から、避難所への給水活動を続けていました。井戸水をUV殺菌した浄水をプラスチック製のバックに入れ、毎日2万~2万5千リットルを供給したようです 。

(浄水供給用プラスチックバック)
今回の災害では、火山灰や砂によるダメージのため4、5時間停電になったり、砂でポンプが止まってしまい、自宅の水道が使えなくなったりした為、生活の不便さに不満を抱いている自分もいました。しかしながら、避難生活を余儀なくされている方々の事を思うと心が痛み、自分が恥ずかしいと思えてきました。家が燃えて全てを失ってしまった人も少なくないと聞いています。自然の脅威を目のあたりにし、実際に手に出来る形あるものの儚さ、危うさを改めて認識する良い機会を得た気がしました。
自然災害を初めて体験し、仕事上だけでなく、生きる事への新たな刺激ももらった気がします。
(杉浦愛)
なお、現在メラピ山の火山活動は沈静化していますが、堆積した噴出物が降雨で土石流となり、川沿いの地域では深刻な二次災害を被っているそうです。
日本でも、新燃岳周辺で雨による二次災害の発生が懸念されておりますが、これ以上被害が拡大しないよう、また、被災した方々が一刻も早く元の生活を取り戻せるようにお祈りしております。
(APEX三木)
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